陸軍墓地参拝記録
松本陸軍墓地(長野県)
所在地
 長野県松本市岡田松岡 美須々公園(護国神社北方)

沿革
 昭和18年8月、現美須々公園にて地鎮祭を実施、翌年納骨堂が完成。
 昭和19年8月に、蟻ケ崎陸軍墓地から6千252柱の「英霊の奉遷」が行われた。

 護国神社の境内東側の道路を北に進むと、美須々公園の正面入り口に出る。
 途中の専有地に「忠魂碑」が建立されている。(何故護国神社内では?)

 納骨堂は、長野県の全戦没者納骨所である。
 祭祀は、8月16日、護国神社奉賛会主催で実施されている。

 公園の右半分は、子供たちの遊び場になっている。

 明確な標識がないのは寂しい。手水舎と比較的沢山の石灯篭が慰霊施設らしい感じをさせるのみで、何の施設か分からない。
「経緯」
 長野県における最初の陸軍墓地は、現松本市営墓地(蟻ケ崎松本市蟻ヶ崎4-864)に松本町から寄付を受け準備された。
 埋葬数が少ないためか、大正15年に面積が半分に縮小される。死としての墓地の必要性も高かったからであろう。
 満州事変が始まり、戦死者が増えた。また、50連隊のみならず、身辺の50連隊の戦病死者の墓標も必要となった。松本連隊は墓標を個人墓標から合葬墓に改め、火葬し分骨を納めるように納めるように改めた。
 その場所も、遺族や兵士が参拝しやすい護国神社に近い場所に移設を検討。戦時下で資材不足のため、大忠霊塔から忠霊堂(納骨堂)に変更した。
【公園入口:陸軍墓地入口:奥に納骨堂】
 【手水舎】
 
 【合葬碑】

* 裏面下部に金属製の扉有り。納骨可能(細部不明)

* 昭和19年4月 建立

* 金沢師団経理部長 新居邦八 謹書
軍人墓地
   
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