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奈良陸軍墓地(奈良県) |
所在地 |
奈良県奈良市古市町3丁目 (平尾池の東南端) |
沿革 |
墓地の敷地は五、六四九平方米あり、墓地には「満州事変戦没者合同墓碑」(昭和十一年五月三十日建立)と、 「歩兵第三十八聯隊将兵英霊合祀之碑」(昭和九年三月建立)の二つの塔と、寛城子事件などで亡くなられた三十四体の将兵の墓碑が建立されています。歩兵第三十八連隊は、明治二十九年十二月、京都市伏見区深草に創設された。明治四十二年三月、奈良市高畑町に歩兵第五十三連隊が創設されたが軍備縮小により大正十四年三月の廃隊され、これに代わって同年四月、京都深草より奈良高畑へ歩兵第三十八連隊が移駐しました。また、移駐に伴い京都七方面山陸軍墓地(京都市伏見区宝塔寺山町)の関係諸霊をも此処に遷してお祀しています。(墓地内「旧軍墓地の由来碑)
* 墓地の管理祭祀は「奈良県至誠会」(もとの在郷軍人会)が実施。 |
奈良県護國神社から約1キロほど南側の平尾池の東側にある。県道188号線を進み、東に入って平尾池の東南端、ハイキングコースらしい「山の辺の道」から100m程入った台上の雑木林の中にある。「障害児福祉センター奈良仔鹿園」を左に見ながら歩くと直ぐ日本の門柱に鎖のかかった墓地が見える。
墓地は自然土のまま整備され、林で区切られた上下2段の地区に分けられている。
個人墓の大きさは規定に従ったものであろう。34基の個人墓のうち18基(将校2、下士官5、兵11)が大正8年7月15日、「寛城子事件」での戦歿者であった。従って個人墓は、歩兵第53聯隊の墓碑と思われる。
昔の文書によれば、墓地は奈良県護國神社に隣接する地域に移設する計画があったらしい。
管理体制がしっかりしているためか、墓地は清掃等しっかりなされ、気持ちの良い参拝が出来た。 |
【墓苑の概要】 |
【山の辺の道からの入口:石標】 |
【門:鎖】 |
【合同碑群】 |
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【満州事変戦病歿者合同墓碑】 |
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* 碑の建立:昭和11年5月30日建立
* 鳥居の建立:昭和11年6月25日 手前-愛国婦人會奈良県支部、奥-大日本国防婦人会奈良管下會 |
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【歩兵第三十八聨隊将兵英霊合祀之碑】 |
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「碑文」
大正14年軍備改編に依り歩兵第38聨隊奈良に転営せし為京都七面山陸軍墓地に於ける諸英霊を遷して此処に祀る
歩兵第38聨隊長陸軍歩兵大佐従5位勲3等
篠原次郎謹書
昭和9年3月建立 |
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【将校墓碑:3基 合同碑の間】 |
【下士官墓碑:10基 合同碑の右奥】 |
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【兵士墓碑:21基 左側下段地区】 |
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【由来碑】 |
【入口付近の手水鉢:陸軍マーク】 |
【陸軍墓地入口石標附近の境界石】 |
(平成10年3月10日建立)
(奈良県至誠会 日本郷友連盟奈良県支部) |
(昭和11年6月25日建立 個人名) |
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【門手前の境界石標】 |
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