陸軍墓地参拝記録
静岡陸軍墓地(静岡県)
所在地
 静岡市葵区沓谷2-7

沿革
 ・第34聨隊の戦没者や戦病没者が埋葬されている陸軍墓地で、1897年(明治30)年頃設置。現在は、旧静岡陸軍墓地公園となっている。
 ・面積7千291㎡
 ・祈念墓碑は、明治37・38戦役の戦病死者の碑計5基、大正3・4年戦役戦病死者の碑、支那事変陣歿者の碑、戦没馬犬鳩の碑がある。
 ・個人墓は、日露戦争での将校42基、下士官等の他、ドイツ兵捕虜1基がある。
 ・現在は、「旧静岡陸軍墓地公園」。参拝当日は、市民がゲートボール等を実施していた。

参考
*静岡県は、地政学的かつ軍政上から、静岡の歩兵第34聨隊地域の静岡陸軍墓地、、三島の砲兵部隊地域の三島陸軍墓地、、豊橋歩兵第18聯隊及び浜松飛行第7戦隊地域の浜松陸軍墓地の3カ所がある。
 戦後は、国有地であるが夫々所在の市に無償貸与され管理され、関係協力団体が保守清掃等に奉祀している。
 静岡県立大学弓道部が、2ヶ月に一度墓地の清掃奉仕しているという。有難い事である。感謝!感謝!

*「軍神・橘中佐」の墓
 出身は長崎県で。長崎市に「橘神社」「墓」がある。また、銅像が建立された。
 橘中佐が大隊長を務めた歩兵第34聨隊は、「橘聯隊」とも言われた。日露戦争、遼陽の戦いで首山堡の攻撃中に戦死。
 軍歌「橘中佐」は、彼我の陣営、日本軍の総攻撃、橘中佐が銃弾に倒た状況、救護する軍曹の活躍など、臨場感あふれ、リアルに描かれている。
 毎年8月最終土曜日に、「橘聯隊」を継承する陸上自衛隊第34連隊(板妻)と戦友会の合同で「橘祭」が挙行されている。
【墓地の概要】
 【蓮永寺(左)の右側を行くと正門】 【墓地入口(正門)】 【墓地入口(蓮永寺)から】
【門標】 【墓地全景】 【「陸軍墓地参道」標柱】

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【将校佐官之墓】 【陸軍歩兵大佐 関谷銘次郎之墓】 【陸軍歩兵中佐 橘周太之墓】
【陸軍歩兵中佐 鈴木則柯之墓】 【陸軍歩兵少佐 三浦智之之墓】 【陸軍歩兵少佐 青山正太郎之墓】
【将校の墓】
【下士官の墓】

(陸軍3等書記:明治32年8月16日死亡:病死か?)
【ドイツ兵捕虜(マタイス)の墓】
Hier ruht in Gott
(Der Matrosen
altilierist
Gust.Mathais
geb.10.1.95.
gest.13.4.15.)
Er starb den Heldentod
fürs Vaterland

*墓の周囲の擬木製の柵は、地元静岡市沓谷二丁目の老人会が建設
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【明治三十七八年役 戦史病者追悼碑】
【全景:碑5基】 【主碑】 【戦病死兵卒之碑】
【戦病死下士之碑】 【戦病死准士官之碑】 【戦病死将校同相当官之碑】
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【大正3・4年戦役 戦病死下士兵卒碑】
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【昭和3年・支那事変 陣歿者之碑】

 * 裏面に8名の兵卒の氏名刻印
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【満州事変戦病死者合葬碑】
*昭和11年10月建立  *陸軍中将 岩越恒一 書
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【支那事変・大東亜戦争 忠霊塔】
 昭和12年から20年に亘る未曾有の大戦に勇躍祖国の難に赴き悠久の大義に殉じた郷土の勇士は7万の多きに及んだその忠烈悲壮鬼神を哭かしめ民族の歴史を彩り護国の礎となった 我等戦友8千有余相図り茲に由緒の深い陸軍墓地を卜して忠霊塔を設け英魂を慰め偉勲を顕彰する
   昭和43年8月31日
    静岡聯隊址碑建設期成会 建立
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【戦没馬犬鳩 慰霊】
*明治天皇御製
 人ならばほまれのしるし 授けまし
 軍のにはにたちし荒駒

*明治百年紀念
 歩兵第24聯隊 桜友会有志建立
  昭和46年8月15日
軍人墓地
   
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