記念館 
尚古館(石川県金沢駐屯地)
場所
 石川県金沢市野田町1丁目8 陸上自衛隊金沢駐屯地 資料館


概要(説明版)
 この建物は、明治三十一年に陸軍第九師団野戦砲兵第九聯隊の将校集会場として建築された物で約百十数年経っており、現在資料館として使用しております。
 「尚古館」とは【過ぎ去りし昔を尊び・重んじ・大切に】と言うことから、旧陸軍中将 伊佐一男氏(元歩兵第七聯隊長)によって名付けられました。
 展示しております資料等は、遺族の方からの大切な遺品や記念品であり、先人達の偉業を感じて頂ければ幸いです。
 陸上自衛隊金沢駐屯地は、野戦砲兵第9連隊跡地にあり、いくつもの遺構が残っている。
 野戦砲兵第9連隊は、明治29年に名古屋で編成着手し金沢に転営、明治31年10月に発足した。
 明治36年には山砲兵第9連隊に改編され日露戦争に参加した。日露戦争では、明治37年5月に動員下令され、旅順攻略戦、奉天会戦に参加。奉天会戦では連隊長戦死の激戦を行い、明治39年凱旋。
 大正3年から2年間、朝鮮駐劄。大正10年シベリア出兵に参加し、翌年凱旋した。
 昭和7年、上海事変に参加。10年からは満州駐劄、日中戦争では上海付近の戦闘の後、敵を追撃し南京攻略、徐州、武漢攻略戦参加後、昭和14年6月に復員下令された。
 翌15年、満州派遣が命ぜられ、ソ満国境警備に当たる。
 太平洋戦争末期の昭和19年、第1大隊をトラック諸島に派遣、連隊主力はサイパンに派遣命令が下るも、同島が陥落し、沖縄に変更され陣地構築中、台湾への移動命令を受け、この地で終戦を迎えた。 
【看板】
 
【金沢駐屯地資料館入口】
  【館内撮影禁止:残念】
 【駐屯地正門】
 【展示内容】
 館内は撮影禁止のため写真はありません。金沢駐屯地のHPで雰囲気は分かります。・・・金沢駐屯地資料館 「尚古館
 館内右側部分は、「旧軍コーナー」:旧陸軍第九師団を中心とした歴史、装備品、遺品、記念品等を整然と綺麗に分かり易い説明で展示。
 館内左側部分は、「自衛隊コーナー」「国際貢献コーナー」:自衛隊の活動状況、装備品等を展示、POK活動・災害派遣等について展示。 
館外】 
   【山砲兵第九聯隊跡
日露戦役 凱旋紀念之碑
 
記念碑(日露戦役凱旋)】
 
 【愛馬之碑
慰霊:殉職自衛官
【盤龍山:正門左側の庭園(写真撮影を忘れた】
 由来:

 時は明治三十七年日露戦役に我が第九師団は乃木将軍の指揮する第三軍に属し旅順攻撃戦に加わり盤龍山を攻撃した。盤龍山は東鶏冠山、爾霊山(二〇三高地)と共に旅順要塞の核心となり難攻不落の堅塁であってその戦闘は惨烈を極めた。
 我が第九師団将兵は八月十九日第一回総攻撃以来周囲の高地よぴする雨の様な敵弾の中を山上の敵陣に向かって突撃につぐ突撃を繰り返し死傷者は急激に増加した。
 第七聯隊長大内大佐は軍旗を先頭に自ら『我に続け』『北陸健児進め』と突撃隊の最先頭に猛進し機関銃弾二十四発を浴び壮烈な戦死を遂げ大隊長中隊長等殆どすべてを失い屍は地隙を埋めて山となし血潮は流れて河となしたが我が精鋭は戦友の屍を乗り越え遂に盤龍山塁上に鮮血の軍旗を高々と翻した。その不僥不屈尽忠報国の精神は『盤龍山精神』となって今もなお北陸健児の胸に長く生き続けている。
【大正天皇御駐蹕所】
【御大典記念】
 【誠 勅諭下賜五十年記念】

昭和7年1月4日 陸軍中将植田謙吉書
 【?】
 【門柱・立哨舎】
 【【門柱・立哨舎】
 【旧軍時代の雨天馬術訓練場:現倉庫】
 【旧軍時代の厩舎:現倉庫】
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