記念館 
防長尚武館(山口駐屯地)
場所
 山口県山口市宇野令784 陸上自衛隊山口駐屯地

概要
 昭和40年11月に開館した防長尚武館(史料館)は、歩兵第42聯隊が駐屯していた当時、武徳殿(武道場)として使われていました。
 大内・毛利と世をつなぎ維新の偉業を成し得た西の京山口に創設された歩兵第24聯隊の足跡や数々の遺品、寺内正毅・壽一親子元帥の元帥刀や勲章、多くの書や現在の自衛隊の活動を紹介したコーナーなど約1600点を展示しており、山口の貴重な財産として県内外から多くの来館者を迎え入れ親しまれています。(栞から)

*残念ながら館内写真撮影禁止でした。
 栞を活用させて頂きます。
 【展示内容】
   館内は第1展示室から第4展示室に別れている。
*正面玄関展示室
 山口県排出歴代総理の写真等、郷土の偉人を紹介
*第1展示室
 軍服・軍刀等
*第2展示室
 寺内親子元帥の遺品を展示
*第3展示室
 軍装品・書・書籍を展示
*第4展示室
 自衛隊を紹介
   歩兵第四十二連隊と山口駐屯地の歴史

*歩兵第四十二連隊は下記の碑参照

*山口駐屯地
 昭和29年小月(下関)に於て陸上自衛隊第17普通科連隊を創設。
 翌30年に移駐を開始し、31年2月に駐屯地開設式を行う。
【館外】 
【歩兵第四十二聯隊之碑】 
  碑文:「聯隊の由来」
山口歩兵第四十二連隊は明治二十八年日清戦役後広島師団隷下の部隊として創設され翌二十九年南部聯隊長は宮中において明治天皇から軍機を親授せらる 同三十年八月軍旗を先頭に威風堂々山口に進駐爾来五十年国防の重責をにない県民の敬愛と信頼を集めて北清事変日露戦役シベリヤ出兵支那事変大東戦争等各戦役に出征し勇戦奮闘赫々たる武勲をとどろかした
 この間護国の鬼として散華した幾多の殉国勇士を含め祖国の安泰繁栄の礎となった功績は永遠に忘れてはならない

「副碑」
 つわものよ 友よ この歴史 かの青春を
 過去とは言うまい ここにこめられた 一つの未来
【百万一心】 
  「碑の由来」
 毛利元就が安芸の郡山(広島県吉田)築城の際 防城鎮護の為、姫九壇の基礎石に刻まれたのがこの「百万一心」である。昔から城を築くには人柱を埋める風習があった。元就は領民を城の犠牲にするには忍びず、その人柱の代わりに、この礎石を埋めることにした。また、この百万一心は分けてよめば一日一力一心よなる。そこで元就は「日を同じくし、心を同じくし、衆人が協力一致して事に当たれば、何事もなしとげられないものはない」といわれたという。
 その徳川末期、文化十三年、防府の武田泰信という人が、たまたま郡山に登り、その礎石を見て、紙に写しとり、後、明治十五年豊坂神社へ奉納して、元就追討の資としたのである。
 この日に、その文字を写して刻みつけ昭和三年十一月十日 昭和天皇即位大礼記念に山口県公会堂に建てられたもので、その後、幾多の変遷を経て、昭和四十年防長尚武館会館の機に、この地に移し建てられたものである。
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