靖國神社 | |||
鎮座地 | |||
東京都千代田区九段北3-1-1 | |||
御祭神 | |||
北白川宮能久親王同永久王の御霊を始めとし、沖縄の男女生徒の若きみたまに至る迄、国民の各層に及びその数は二百四十萬柱の多きを算えます。 | |||
御由緒(沿革) | |||
當靖国神社は、幕末、嘉永六年以来幾多の事変戦役を経て先般の大東亜戦争に至る間に戦没せられた人々のみたまをおまつり申上げてゐる神社であります。 その起源は、明治天皇の思召しに依り明治二年六月二十九日、一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の勲を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申上げる為に、此の地に東京招魂社として創立せられたのに始まり、明治十二年に至り靖国神社と改稱せられました。 創立以来皇室の御崇敬はもとより、国民遺族の変らぬ崇敬のもとに御神徳は愈々輝き、御社頭は日毎に隆昌に赴いて居ります。 例大祭は、勅使の参向のもとに、春は四月二十一日より二十三日まで、秋は十月十七日より十九日まで夫々三日間盛大に執り行はれます。 |
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社殿 | ||
【拝殿】左側面 | 【拝殿】 | 【拝殿】右側面 |
*御本殿 靖国神社の最深部。幕末から大東亜戦争までの英霊二百四十六万6千余柱が、御祭神として祀られている。 明治五年、伊藤平左衛門(建築家)の設計による、雄大豪壮な名建築である。 昇殿参拝する時は、横から昇殿するため、正面から見ることは少ない。 *霊璽簿奉安殿 二百四十六万6千余柱の御祭神名を浄書した和紙を綴った「霊璽簿」は、約二千冊が五十領の唐櫃に入れられ、納められている。 鉄筋コンクリート造・銅板葺で、耐震・耐火・防湿に万全の設計がなされ、更に不測の事態に備えて仮神座も設けられている。 |
【本殿・霊璽簿奉安殿の屋根】 | *拝殿 普段は拝殿前の社頭で参拝する。 拝殿の中では、大小様々な戦友会・遺族会などの団体参拝や、崇敬有志らによる詩吟・合唱の奉納なども行われる。 直線的な美しさの御本殿に対して、拝殿は曲線美が巧みに取り込まれている。 明治三十四年、昭和天皇が御誕生になった年の建築。 ・拝殿と本殿は、回廊でつながっている。 ・例大祭など大きな祭典がある時には、拝殿の幕が通常の白から紫色に替えられる。 |
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【鎮霊社】 | 【元宮】 | |
*元宮 御本殿に向かって左側、回廊外側の小さなお社。 幕末、国事に倒れた志士の霊を慰めようと、文久三年、京都の東山の祇園社で福羽美静らが、ひそかに招魂の祠を建てた。これがいわば靖国神社のルーツをなすので、元宮と称する。昭和六年、奉納された。 *鎮霊社 元宮の隣にある。 嘉永六年以降の戦争・動乱により亡くなっても、当神社にの御本尊に祀られていない日本人と諸外国人の霊を一括して鎮め祀っている。 昭和四十年の創建。 |
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【神札授与所】中門鳥居(拝殿側から) | 【中門鳥居】(奥に拝殿) | *中門鳥居 ・かつて扉がついていた門であった。 ・平成18年に仏所御念会教団より奉納 ・三峯神社より提供された樹齢約500年の檜 *神札授与所 靖国神社だけのお札、お守り等を用意 |
外 苑 | ||
西南戦争ゆかりの【大燈籠】 | ||
*九段下から坂を上っていくと、最初に出会う。 ・社殿に向かって左に「照闇」、右に「揚輝」と刻まれている。 ・西南戦争の際、黒田清隆が長崎で「別働第二旅団」という部隊を編成し、明治十年四月十五日、熊本城に入り、西郷勢と熾烈な戦いを繰り広げた。その三年後、戦歿者のために花崗岩の見事な大燈籠が、別働第二旅団より奉納された。 |
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【社号標】 | *社号標 ・明治27年9月に建てられた高さ10メートルを超す。 ・吉田晩稼揮毫 ・「靖国神社」の上に「別格官幣」が刻まれていたが、昭和20年12月、占領軍の「神道指令」により社格制度も廃止され、その文字を消すため、上部を切除した。 *狛犬 ・後藤良(彫刻家)が大東亜戦争中に造り始め、終戦となって中断したが、後藤氏亡き後、直弟子である八柳恭次が昭和41年に完成させた。 |
【狛犬】(社号標前) |
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【大鳥居】 | *大鳥居 境内の入口に立つ鳥居は、再建されたもの。最新技術の耐候性鋼板。柱の高さ25m(直径2.5m)、笠木の長さ約34m(直径2.7m)、重さ100トン、日本最高・最大級の大鳥居。昭和49年完成。震度7の地震、風速80mに耐える。耐用年数は1200年。 *清朝の狛犬 境内で最古の狛犬。日清戦争の後、朝鮮(海域)の三學寺にあったものを、山県有朋らが譲り受け、明治天皇に献上し、天覧の後、靖国神社に置かれた。 |
【清朝の狛犬】(大鳥居前) |
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【国旗掲揚塔】(大山巌像から) | 【国旗掲揚塔】(境内) | * 大鳥居をくぐった左側に、大きな国旗掲揚塔がある。昭和51年、台湾軍第48師団復員者により奉納されたもの。高さ30m、最上部には社紋章が付いている。 毎日掲揚される国旗は、縦2m、横3mの超特大。 (大山巌像から撮った写真には、大鳥居の一部も写っている。) *境内の掲揚塔は細部不明。 |
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【さざれ石】(大鳥居の横) | 【さざれ石】(大手水舎の横) | *平安初期以来の賀歌「わが君は・・・」に基づく国家の中に詠まれている「さざれ石」と称する石灰質角礫岩(岐阜県揖斐郡揖斐川産の天然記念物)。 *境内に2カ所(3ヶ所?) ・大鳥居の横・・・明示なし ・大手水舎の横(奉納) ・到着殿から回廊に至る途中の中庭(未確認) |
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【石燈籠の列】 | 【榊原政敬公の石燈籠】 | * 石燈籠の列 参道の左右に62基の石燈籠が整然と並んでいる。60基は、西南戦争の戦没者を悼み、明治12年に家族一同から奉納されたもの。他の2基は、明治39年臨時大祭の際、華族会館長から奉納されたもの。 * 榊原政敬公の石燈籠 もっとも古いのが、左側、神門に一番近い、ひとまわり大きな燈籠である。 ・「明治4年辛未11月」「従4位榊原政敬」の銘 ・榊原政敬は、越後高田藩の藩主 |
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【石の大鳥居】 | 【狛犬】 | * 駐車場入口の鳥居と狛犬 * 鳥居 石製としては京都の八坂神社と並ぶ最大級の鳥居がある。昭和8年の奉納 * 狛犬 原型を高村光太郎が作ったとも伝えられる。 |
内 苑 | ||
【大燈籠】 | ||
*高さ13mの日本一大きな花崗石の燈籠 *社殿に向かって左側に陸軍、右側に海軍の日清戦争から満州事変までの主な戦闘場面が、各7面づつ描かれている。正木直彦(帝国美術院長)の監修により、四人の彫刻家が制作。昭和10年富國徴兵保険相互会社(現・富国生命)から奉納された。終戦直後に撤去されそうになったが、レリーフを隠す工事をして逃れた。 |
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【大燈籠】(左側) | 【日清戦争 広島大本営】畑正吉作 | 【北清事変 天津城の攻撃】畑正吉作 (左) |
【日露戦争 奉天入城式】齊藤素巌作 | 【第1次世界大戦 装甲列車の戦闘】齊藤素巌作 | 【台湾鎮定 明治41年 警官隊の戦闘】畑正吉作 |
【上海事変 爆弾三勇士】齊藤素巌作 | 【満州事変 熱河長城攻撃】畑正吉作 | 【奉納趣旨】 |
【大燈籠】(右側) | 【日清戦争 黄海海戦】吉田久継作 | 【日露戦争 第2回旅順港閉塞の広瀬中佐】小倉石一郎作 |
【日露戦争 日本海海戦戦艦三笠艦橋の東郷元帥】吉田久継作 | 【第1次世界大戦 地中海遠征の特務艦隊】吉田久継作 | 【上海事変 上海付近の空中戦】小倉石一郎作 |
【上海事変勃発 海軍陸戦隊】吉田久継作 | 【救護 日本赤十字社救護看護婦の活動】小倉石一郎作 | 【製作者等氏名】 |
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【青銅大鳥居(第2鳥居)】 | 【大手水舎】 | |
* 青銅大鳥居(第2鳥居) 神門前の第2鳥居は、青銅製の鳥居としては、日本一 ・円筒型の柱には継ぎ目がない。明治時代の最先端技術を用いて、大阪砲兵工廠の反射炉で製作され、明治20年に完成した。 * 大手水舎 昭和15年、在米日本人兵役義務者会が奉納 ・ここには、かって靖國神社が創建された明治2年、津藩が奉納した手水盤があった。現在、参集殿から回廊に向かう途中にある。 |
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【神門・菊の御紋章】拝殿側から | 【神門】 | * 靖国神社の正門にあたる神門は、昭和9年完成。 ・高さ6mの扉に映える菊の御紋章は、直径1.5m。 ・戦艦、航空母艦、巡洋艦に付けられていた御紋章の倍近い大きさである。 ・菊の花弁は、太陽の放射線を表すデザインとして、古代から海外でも用いられ、日本では鎌倉初期に後鳥羽上皇が好んで使われたという。 ・16弁の菊花紋が皇室の御紋章と定められたのは明治初期だが、その後、日本の国章としてパスポートなどに使われている。 |
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【青銅大燈籠】(左) | 【青銅大燈籠】(右) | * 西南戦争に派遣されて、犠牲となった警察官を慰霊するため、明治12年に竣工、翌年に警視局(警視庁の前身)から奉納。 ・銅工の鈴木長吉作 ・青銅製の金燈籠 ・柔らかな曲線の屋根、青銅の渋い色合い、火袋は八角形で、赤いガラス。 ・周囲の文様:龍、鳳凰、麒麟、玄武 |
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【南門の手水舎】 | 【南門の狛犬】 | |
* 南門の手水舎 大正12年9月1日、関東大震災の時、境内に避難して助かった付近の住民が、その1年後に奉納。 ・南門の鳥居も奉納したが、昭和20年5月25日の空襲で焼失。 * 南門の狛犬 ・境内唯一の青銅製 ・昭和38年に奉納 |
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【神社付帯施設】 | 【慰霊施設】 | 【遊就館】 |