青森県護国神社
 青森縣弘前市
軍艦津軽之碑
建立場所
 青森県弘前市下白銀町1番地3 青森県護国神社

趣旨(英霊)
 大東亜戦争における軍艦津軽戦没者の戦没者の慰霊顕彰

碑文
  「黙々と まことつらぬき 海に曝せし 津軽の将士 四百七十余」
   昭和61年8月22日建之

(副碑:軍艦津軽の生涯)
 昭和16年10月、横須賀海軍工廠にて竣工、日本海軍最新鋭敷設艦として就役、公式排水量4400トン、速力20ノット、艦長以下500名の乗組員であった。太平洋戦争開戦と同時に、専ら縁の下の力持的存在に甘んじ、南凕の各作戦に参加、17年5月10日、ラエ沖にて米機動部隊と交戦中艦中部に直撃弾を受け、戦死傷者30名に及ぶ。
 修理の為横須賀に回航、修理完了と共に再びラバウルに進出、珊瑚海海戦を始め、ブーゲンビル島、ガダルカナル島に食糧、兵器の輸送、傷病兵の収容作戦等数多く参加、18年2月、度重なる米機の攻撃を受けその至近弾により多数の死傷者と損傷を被り、再び横須賀へ回航修理後、ラバウル方面の兵員輸送中、5月米潜水艦の雷撃を前部に受け、又々横須賀寄港。12月シンガポールに進出し、19年1月ペナン沖に魚雷を敷設、比島方面の間断なき輸送任務に累々と従事、5月佐世保に寄港して艦を改装、対潜対空兵器を増強、比島方面に進攻して機雷敷設後ビアク増援部隊に編入され、ニューギニアに陸軍増援部隊兵員物資の搬送揚陸作戦中米潜水艦の雷撃により中部水線下に被雷、沈没は免れしも、応急修理の効果なく、マニラに向け回航中モロソイ水道おいて追尾しきたる潜水艦に再度雷撃を受け沈没。
 就役以来2年8カ月、艦長以下373名と共にその生涯を閉じた。
 時に昭和19年6月29日午前11時30分
護国神社別慰霊碑

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