北海道護国神社
 北海道護国神社
歩兵第89聯隊 戦没者合同慰霊碑
建立場所
 北海道旭川市花咲町1-2282-2 北海道護国神社
趣旨(英霊)
 ・沖縄戦没者 2681柱
 ・サイパン島戦没者 585柱
 ・其の他の戦域に於ける戦没者 481柱
碑文(裏面)
*部隊名
 歩兵第八十九聯隊は満州国東安に駐屯し満州第七八〇部隊と称した
*この碑は昭和51年10月10日 旭川市高砂観音堂霊園に建立
*昭和62年10月10日 この地に移設奉還
*碑文揮毫 村上北海
 
 碑文
 歩兵第八十九聯隊は昭和14年満州国錦縣に於て満州独立守備第六及び第十大隊を編合し創設され 爾来第五軍第二十四師団隷下東部国境東安に駐屯軍旗の下に団結北辺の護を全うすとともに秋霜烈日日夜部を磨き精鋭破竹の魂を培い以て盡忠報國の気概を育む
 時恰も昭和十九年大東亜戦々局漸く苛烈を加え戦雲また本土に及ばんとするや同年七月聯隊主力に動員下令沖縄防衛の重責を荷う 翌二十年四月来米軍侵攻を迎撃八十余日に及ぶ死闘を重ね聯隊長金山均大佐以下二千六百八十余名悠久の大義に殉ず
 また中部太平洋に派遣された大隊長佐々木巳代太大尉以下五百八十余名はサイパン島の守備に任じ昭和十九年六月怒涛の如き米軍を迎え勇戦奮闘遂に護国の鬼と化す 更に一部は満州及び北支那の辺境に或は遠く南溟の果に挺進し其の多くは還らざる人となった
 聯隊が軍旗の下に纏まり玉砕した戦例は多く見るも本聯隊の如く作戦に當り分割離散を強いられ夫々の部隊が悪戦苦闘の末殆どが玉砕した例は昭和の戦史においても稀な悲劇の聯隊である。
 此虎に兵員補充原隊(歩兵第28聯隊)ゆかりの地旭川に戦友遺族相寄り此の碑を建て戦没英霊の崇高なる殉國の精神を顕彰し其の遺勲を永く後世に伝えんとするものである。
  昭和五十一年十月十日
     八九會
【沖縄戦没者氏名】
【サイパン島戦没者氏名・其の他の戦役戦没者氏名】
 護国神社別慰霊碑  
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