北海道護国神社
 北海道護国神社
一木支隊 鎮魂碑
建立場所
 北海道旭川市花咲町1-2282-2 北海道護国神社
趣旨(英霊)
 聯隊長一木清直大佐以下2300余名の御英霊を顕彰、偉勲伝承
碑文
 太平洋戦争初期の昭和17年5月 敵の前進基地ミッドウェイ島攻略のため旭川第七師団において歩兵第28聯隊を基幹とし工兵及び輜重兵第七連隊の各1個中隊と独立速射砲第8中隊を付した一木支隊が動員され聯隊長一木清直大佐の名を冠して一木支隊と称した
 編成人員は2千3百余名
 支隊は大本営直轄となり勇躍征途に就いたが作戦・・・変更となりグアム島に転進 同島の警備に当っていたが8月7日原隊復帰の命により航行中 南太平洋ソロモン群島ガダルカナル島で飛行場建設中の我が海軍部隊を駆逐し上陸してきた米海兵隊第1師団約2万に対し攻撃奪回を命ぜられた。急遽反転した支隊第1梯団9百余名は月明下同島に上陸 8月20日夜半より中川付近の敵陣地を攻撃十数時間に及び突撃を反復したが敵の堅陣を破れず支隊の損害甚大 ついに軍旗を奉焼して支隊長以下八百余名は壮烈な戦死を遂げた。
 第2梯団は水野鋭士少佐指揮し第1梯団の残余を併せ熊大隊と称し9月13,14日川口支隊の右翼隊となり総攻撃に参加 敵戦車群に壊滅的打撃を与える等多大の成果を挙げたが全般の作戦は成功せず大隊長以下多数の戦死者を出すに至った 以後支隊は不撓不屈の精神をもって間断なく攻撃を続行あるいは人知の確保に当ったほか敵の猛砲爆撃下物資並に患者の輸送に任ずる等半年に亘り克く困難なさあ苦戦に耐え士気些かも衰えることなく任務を全うし北鎮検事の神髄を遺憾なく発揮した。 ガ島は赤道直下炎熱瘴癘の地に加えて食糧爆薬医療は殆ど枯渇 その苦戦は言語に絶し翌18年2月の撤退まで更に多数の戦死者を生じた
 茲に戦友遺族相図り懐しの故郷に鎮魂碑を建立し一木支隊2千余柱の戦没英霊安かれと祈り併せて支隊苦闘の戦歴と武勲を永く伝え遺さんとするものである。
  昭和56年8月20日
   一木支隊戦友と遺族の会 一木会 
【副碑:一木支隊行動要図】
護国神社別慰霊碑   
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