北海道護国神社
 北海道護国神社
樺太・北海道池
建立場所
 北海道旭川市花咲町1-2282-2 北海道護国神社
趣旨(英霊)
 樺太関係者4,272柱の御霊の慰霊、樺太池の顕彰
碑文
 この北海道護国神社は、旭川の旧第七師団(現第二師団)に依り明治35年建立されました。日清日露戦争以降大東戦争終結に至る迄、お国の為に殉職された北海道・樺太に縁のある方々63,140柱をお祀りしてあります。樺太は旧第七師団に所属していたことで、昭和の始めに第七師団の工兵隊により左側に当時日本領土であった南樺太・右側に北海道を型取った池を設け、その間を太鼓橋で渡り本殿に至ると云う構想により造られたものです。
 私共樺太に縁のある者達が樺太池を顕彰する会を発足し、樺太が日本領土であった終戦迄の40年間先祖が営々として築いて来たことに想いを寄せ、ここに祀られている樺太関係者4,272柱の御霊が樺太池と共に永久に安らかにお眠り下さることをご祈念申し上げこの碑を建立致しました。
  2004.5建立
   樺太・北海道池を顕彰する会 
【樺太・北海道池】
  
 【要図】
 【樺太池】
 
 【北海道池】
 
【樺太国境標石:原寸レプリカ】

「碑文(略史)」
 この標石は樺太(サハリン)に於ける日本国とロシア帝国との国境・北緯50度線に4ヶ所あった国境標石の内、東端にあった天側點、天第1号の原寸レプリカです。南側には日本国の菊花ご紋章、北側には当時帝政ロシアの紋章であった双頭鷲、両側には夫々の国の文字で建設年とNo(天第1号 明治39年)が彫まれてあります。これの設置に当たっては、千古不斧の山岳大密林を10m幅で伐り開き、苦難の末国境を確立したという歴史的に意義のあるものでした。
 樺太は長い間日本とロシア帝国の共存共有の領土でありましたが、明治8年樺太と千島列島交換条約に依りロシア領土となりました。明治38年日露講和条約(ポーツマス条約)に依り北緯50度線以南が日本国領土となり、この時この国境標石が設置されました。以来昭和20年のポツダム宣言に依りソ連領土となる迄の40年間、私共の祖先40万人が血と汗を流し楽土を築き上げて来ておりましたが、太平洋戦争が終り多数の犠牲者や資産を残し幾多の苦難を乗り越えて帰国して来たことを後世に伝えるべく、樺太池があり樺太池に縁のある殉國の英霊が、お眠りしているこの池に、これを建立しました。
  2005.5(平成17年5月)建立
   全国樺太連盟旭川支部長 櫻庭慶一(ホルムスク)真岡 奉献
【菊花ご紋章:大日本帝国境界】
【双頭鷲:帝政ロシア側】
 護国神社別慰霊碑  
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