石川護国神社
 石川県護国神社
陸軍少年飛行兵 慰霊顕彰碑
建立場所
 石川県金沢市石引4丁目18番1号 石川護国神社

趣旨(英霊)
 石川県出身少年飛行兵 70有余柱の慰霊顕彰

碑文(趣意書)
 陸軍少年飛行兵の名に負いて南溟の涯北辺の空に散華した石川県出身70余柱の遺勲を永く後世に伝える為にこの碑を建立する
 抑々少年飛行兵の制度は第一次世界大戦護つかの間の世界平和桃源の夢空しく破れ 暗雲世界を覆い極東に於いても戦局将に動く秋 わが陸軍航空戦力の画期的な担い手養成の為に創設され、昭和9年2月に15歳前後の少年が、所沢陸軍飛行学校に第1期生徒として入校したのを嚆矢とする。爾来昭和20年入校の第20期生まで数度の学生の変革を経たが、この間操縦・整備・通信の各分科に分れ、技能を学びし者318名を数えるに至った。学び舎を巣立ち、即戦力として日支事変、大東亜戦争に従軍し、純一無雑、尽忠報國の至誠に燃え任務必遂に邁進した。日を遂うて苦難凄絶を加え、殊に、航空機の帰還が全戦勢を左右する情勢下に於て少年飛行兵出身者の赫々たる武勲が世に喧伝せられ、海軍の予科練と共に、わが国航空戦力の双璧として、時代の寵児、救国の若き戦士として全国民敬愛の的となった、
 少年飛行兵の歴史は僅か12年、然りと雖も日本陸軍80年の歴史に於て、その1頁を飾る金字塔として特記に値するものであろう。特攻隊をはじめとし、或いは空・地に於て戦死し、或いは瘴癘の地に戦病歿した友々。我が国の悠久不滅と永遠の平和と繁栄を信じ、荒爾として己を滅していった英霊こそ、現日本の礎をなすものである。
 この事実について将来如何に時代世相の変遷があろうとも、無限の感謝の念を捧げ続けられることを願うものである。
  昭和59年4月8日
    陸軍少年飛行兵生存者の集い 石川県陸軍少飛会 

* 本碑裏面:石川県出身陸軍少年飛行兵戦死者名 刻印
 護国神社別慰霊碑  

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