石川縣護国神社
 石川県護国神社
清水澄博士顕彰之碑
建立場所
 石川県金沢市石引4丁目18番1号 石川護国神社

趣旨(英霊)
 憲法学者清水博士の慰霊顕彰

碑文
 憲法学者清水澄博士は、大日本帝国憲法が廃止され、占領軍司令部が強制した日本国憲法施行の日 即ち昭和22年5月3日、日本国と天皇制の将来を憂慮され、幽界よりわが国体の護持と皇室の御安泰、今上陛下の御在位を祈願しようと自決を決意され、憂国の至誠極まる所、汨羅の淵に身を投じた楚の国の忠臣屈原の故事に倣い、9月25日、こよなくその風光を愛されていた熱海の錦ヶ浦の波涛に愛国赤心の躰幹を投ぜられたのであります。

 博士の自決の辞は「新日本国憲法の発布に先だち私擬憲法法案を公表したる団体及個人ありたり、其中には共和制を採用することを希望するものあり、或は戦争責任者として、今上陛下の退位を主唱する人あり、我国の将来を考え憂慮に至りに堪えず、併せて小生微力にして之が対策なし、依って自決する所以なり、昭和22年5月新憲法実施の日認む」でありました。
 敗戦日本の正気汨羅の惨状は正視するに耐え難いものが連続的に生起しました。博士はわが国の伝統、文化の変革し行く姿を見、祖国の将来を憂慮され、ことに建国以来、国の生命、民族の中心として連綿と存在する皇室の上に思いをいたされ、身の置き処が無かったのであります。
 東京の青山墓地に眠る博士の墓石に記された嗣子虎雄氏の碑文の中に「けだしその生涯は君国に対する忠誠の念をもって終始し、云々」とある如く、博士の哀情はただ一つ祖国の道義を万代に堅持せんがための至情以外の何物でもなかったのでありましす。

 新憲法下ここに30年、博士の憂慮された如く、この間政治、経済、文化・教育、その他あらゆる分野において、国の伝統と民族の歴史に背反することおびただしく、まさに祖国の危機と言わざるを得ない状態であります。この亡国的惨状打開の途は、国の歴史と伝統に基づく民族の正気の恢弘、維新の以外にあり得ないと信じます。
 ここに有志相集い、わが郷土の先哲、乱世の老志士、清水澄博士の至純至誠、順烈の一世を顕彰し、其の日を建立し、博士の遺志、悲願の継承を誓い、その赤心と烈魂を永く後世に伝え、民族の正気の恢弘と祖国の維新、再建に勇奮逓信し、ひいて万邦平和の実現を深く祈念する次第であります。
   昭和52年9月
     林家亀次郎
 
 護国神社別慰霊碑  

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