栃木県護国神社
 栃木県護国神社
満洲開拓青年義勇隊慰霊之碑
建立場所
 栃木県宇都宮市陽西町1-37 栃木県護国神社

趣旨(英霊)
 大東亜戦争におけ元満洲開拓青年義勇隊戦没者の慰霊顕彰

碑文
 我等は若き義勇軍  祖国の為ぞ鍬とりて  萬里涯なき野に立たん
 今開拓の意気高し  今開拓の意気高し

 満洲開拓青少年義勇隊は昭和十二年に創設され、十四歳から十九歳までの青少年が、茨城県内原訓練所を経て満洲(中国東北地方)に移住し、前後三年間、各種の訓練に従事しつつ北方守備の一翼を担ったのである
 当時政府は、民族協和、王道楽土、第二の祖国建設等の政策を掲げ、全国の青少年がその国策推進に協力することを奨励した。
 この政策に夢と理想を見出した幾多の純粋な若い魂は、進んで義勇隊に入り、内原での厳しい訓練に堪えて渡満した。この数全国で九万余、本県からも二千数百余名が応じた。
 この間義勇隊の訓練と生活は言語を絶するものがあったが、夢と使命感を秘めていた拓友は、酷寒猛暑を克服してひたすら開拓の鍬を振るい、初志貫徹のため日夜精励した。そしてその苦闘も報いられ、理想郷の実現する日も近くにあるやに思っていた。
 しかるに昭和二十年八月、敗戦という過酷な現実に、若い情熱と努力の結晶は水泡に帰した。その後の苦難は筆舌に尽くし難く、酷寒と飢餓、病魔に侵される悲惨な日が続き、斃れて若い生命を奪われたもの、本県のみでも三百六十余名に及んだ。  幸いわれわれは、励まし合い助け合って九死に一生を得、なつかしい母国の土を踏むことが出来たが、大陸の広野に空しく消えた拓友を忘れることは出来なかった.ここにかれらの魂魄を故郷に幾久しく鎮めるため、生還し得た本県の有志が相集まり、相謀って、聖なるこの地に慰霊碑を建て、その冥福を祈念するものである。願わくば友よ、安らかに眠られんことを。

 鎮魂賦少年雄叫ぶ満洲の原  戦い敗れ辛酸言うに耐えず
 八百の青雲興国の志の山は英魂を鎮めんと欲す

  昭和四十七年十一月十二日
   元満洲開拓青年義勇隊  慰霊碑建設協議会建之
護国神社別慰霊碑
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