和歌山縣護国神社
 和歌山県護国神社
歩兵第六十一聯隊 鎮魂
建立場所
 和歌山県和歌山市一番丁3番地 和歌山縣護国神社

趣旨(英霊)
 歩兵第61聯隊戦友戦没者の慰霊顕彰

碑文(副碑:左碑)
 日本国の防人として ひたすら永遠の平和を目指して 栄ある軍旗のもと北満の野に はたまた中支南方戦線にその青春の純潔を捧げ 自ら進んで国難に殉じた1万余柱の御霊よ 生死を共に相励ましつゝ骨をも凍る酷寒の地に あるいは赤道直下の炎熱と悪疫のジャングルに 砲煙弾雨のなか砂塵にまみれ 獅子奮迅の死闘に敢然と身を挺したあの元気な懐かしき面影よ 我等いま過ぎし日の想い出を 辿るとき万感胸に迫りて涙の止まるをしらず 戦友の赫々たる武勲は燦然として千載に輝く
 天命の定めにより生きながらえた我等 今日の平和と繁栄は偏に諸霊の築かれた礎の上にあることに想いを致し 衷心より感謝の誠を捧げ 常念の心常にして 我等の願いを建碑にこめ後世に遺すものである 願わくは御霊よ此処に鎮まりて倶会一処の妙果を証せんことを
  昭和55年(1980年)5月吉日
     歩兵第六十一聯隊戦友会

    第17代聯隊長 鵜澤 尚信 書
【左右の石灯篭】
  
 左 : 散る花に かなしき思ひ 吾生きて

 右 : 殉国の友の残せし勲を 碑として永遠に称えむ
(副碑:右)「部隊史」
 明治38年8月8日軍旗を拜受。
 歩兵第61聯隊誕生す。 日露戦役のあと和歌山市を衛戍地とし、郷土部隊として県民に親しまれ、信頼されつゝ国土の防衛に任ず。
 昭和12年4月北満の警備と治安維持に出動 同14年8月第二次ノモンハン事変に派兵さる。
 昭和15年7月中支湖北省に転進 常に第4師団の主力として漢水、豫南、大洪山、江北、長沙の各作戦に参加して奮戦す。
 昭和16年12月第二次世界大戦勃発するや 同17年2月北部ルソン島に進撃、第二次バタアン攻略戦に敵主陣地サマット山を撃破
 引続き米極東軍の難攻不落を誇ったコレギドール島要塞に敵前上陸を敢行し占領、本間雅晴軍司令官より部隊感状を授与さる。
 昭和17年7月凱旋、同18年10月スマトラ島に進駐、同19年5月ビルマのインパール作戦の援護に転戦、
 同20年2月タイ国に進駐、昭和20年8月15日中部ナコンナヨクの山中にて終戦を迎え、軍旗を奉焼し、茲に栄光の幕を閉ず。
護国神社別慰霊碑
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