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札幌護國神社 | ||||||
鎮座地 北海道札幌市中央区南15条西5丁目1-1 中島公園南端 御祭神 25,548柱 (平成28年) 北海道開拓祭神 各戦役戦没祭神 公共殉職祭神 其他特殊祭神 境内社 多賀神社:延命長寿 縁結びの神 |
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御由緒(栞): 当神社は明治10年の西南の役に戦病没した屯田兵の霊をお慰め致すために明治12年に御祭祀申し上げ、今年(平成28年)で137年に相成りました。 最初は北6条西7丁目偕楽園前に招魂碑を建立し、明治44年2月に中島公園に移し、日露戦役により乃木将軍の直筆による忠魂碑が完成され、昭和8年に現在地に御神殿を造営し、御祭儀を執行して参りました。 その後幾多戦役の戦病役者の霊と殉職警察官、殉職消防官の霊を合祀申し上げております。 昭和43年には不慮の火災に会い、御神殿を焼失しましたが、皆様方の御奉賛により昭和45年の夏、荘厳を誇る御社殿が完成されました。 また、昭和47年2月3日には昭和天皇・皇后両陛下が当神社に御親拝されました。ついで昭和54年は西南の役より 100年に相成り、荘厳なる 100年祭が執行されました。その記念として遺品殿の新設並びに境内の整備等も執り行っております。 また、昭和60年6月7日には三笠宮両殿下も御参拝され特に境内を「彰徳苑」と命名下されました。 110年には、廻廊と社務所等の改修がされました。 御由緒(案内板): 当神社は明治10年西南の役に屯田兵として殉死された御霊等を始め相次ぐ戦役の御英霊と従軍看護婦が祀られ戦後は殉難警察官、消防官の御霊等を相殿に御祭祀申上げております。 例祭日 毎年7月6日 |
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ホームページ : 札幌護国神社 |
参拝時、地下鉄「幌平橋」で降りると、猛烈な雨が降ってきた。若干躊躇したが、ここで止めれば御英霊に申し訳ないと思い、護国神社に向かう。境内では3日後に控えた例祭の準備中であった。お忙しい中を「彰徳苑」の見学に対応して頂いた。 境内はやや狭いが、「彰徳苑」は数多くの慰霊碑が立ち並び、良く整備されており、北海道における中心地的な護国神社に相応しいと感じた。 旭川の北海道護国神社、函館護国神社、そしてここ札幌護国神社、それぞれ指定護国神社として特徴ある佇まいであった。また、指定外ではあるが帯広の十勝護国神社も広々とした境内に鎮座し、北海道の主要四地域において、夫々御英霊を篤くお祀りして頂いていることを感じた。 |
拝殿等境内施設 | ||||||||||||||||||||||||||
【道路から鳥居・参道・社号標】 |
【御朱印】 |
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【拝殿】 |
【社号標】 |
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【扁額:神門】 |
【天皇皇后両陛下御参拝記念碑】 昭和47年2月3日 冬期五輪札幌大会時 |
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【寝牛石】 アッツ島玉砕雄魂の碑建立記念として奉納された。 |
【さざれ石】 3億年昔の古世層紀、海だった処より浮き出し陸となった時の石 |
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【山鼻神社碑】 御祭神を多賀神社に合祀 |
【札幌招魂社 社号標】 昭和9年7月 帝国在郷軍人会札幌支部 建立 |
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【 境内社:多賀神社】 | ||||||||||||||||||||||||||
【社殿:護国神社事務所に連接】 |
【御朱印】 |
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・御祭神は、天照大御神をお生みになったご夫婦神様(伊邪那岐大神・伊邪那美大神)延命長寿・縁結びの神 ・戦後、護国神社が国の援助の途をとざされ、神社の運営と御英霊をお護りするため、昭和24年多賀大社より御祭神をお招きした。 |
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遺品殿 | ||||||||||||||||||||||||||
*この遺品殿は、昭和54年札幌護国神社御創祀百年記念事業の一つとして造営された。 独立した建物ではなく、本殿東側に入口があり、展示室は、本殿の地下に当ると思われる。また、遺品殿という看板・表札はなかった。 *左写真は、チラシ(パンフレット)です。 *見学したい旨を事前に社務所に予約する必要がある。 *内容は上の「遺品殿」をクリックして下さい。 |
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彰徳苑 | ||||||||||||||||||||||||||
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。 | ||||||||||||||||||||||||||
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